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宮川香山 破片追跡調査 京都の池田さん?(2)



香山の談話を見てみましょう。

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「この花瓶は、私にとってよほど苦心の作で、作り上げてから病気になった。

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そして壊した花瓶はまことに粉微塵であったが、京都の池田清助さんが粉を200円で買っていった。」

この「粉」を求めて、池田清助なる人物の調査を開始しましょう!

最初に見つけたのが、「神戸又新日報」の記事でした。

「神戸人の言うには電灯は瓦斯より優等で有るが元来電気は危険で有る現に電気に人が触るれば死ぬではないか又牛馬が触れても即死するではないか、恁麼危険なものを家に引くことは真平御免で有るというかと思えば亦一方には瓦斯灯でも電気灯でも一番余計に引くであろうと思わるる元町辺からは亦意外な抗議が出て来た夫は呉服反物類は電気の灯為めに変色するから不可ぬという事だ是は英国から新に帰朝した当時元町一丁目で外国人向きの輸出貨物を売っていた池田清助という人の申条で有る何しろ本場の外国から帰った人の話で有るから否然らずと反駁する事が出来ぬ、元町連中は一も二もなく反対説に賛成して了った」
(大正2年8月13日付け 神戸又新日報より)

意訳すると、電灯を設置するしないの議論の中、神戸の元町で外人相手に輸出モノを売っていた「池田清助」が「電灯は呉服反物類を変色させるからよくない。」と反対した。

彼が実際に外国から帰国した人で、かつ実際に電灯というものを知っている人だったから、元町の連中は皆、電灯反対になった、という記事です。

このことから、池田清助は、神戸の元町で外人相手に商売をしていた人間だということがわかりました。

しかし、香山は、「京都の池田清助」と言っていました。

神戸と京都は違いますよね。。。。

さらに調査をすると、別の資料を見つけました。

「居留地に隣接する元町通の今の1番街、3丁目にはこの「御屋敷」相手の骨董(英語でキュリオ)を扱う店が自然と軒を並べました。

外国商館に出入りする羽振りのよい日本人はやっかみ半分に「屋敷者」と呼ばれ、その代表格が紀州生まれで京の道具屋あがりの池田清右衛門。

明治7年には玄関前に金属燈籠、玄関口に金の衝立を置いた「お屋敷」を居留地36番館に構え、イギリス人を2人雇い古美術・骨董を直接輸出する「越後屋」を開業、後に元町通3丁目に移転しました。

明治15年の商店案内「豪商神兵湊の魁」には当時の広告が掲載されています。

後に1丁目に店を移転した池田清右衛門改め池田清助は、神戸に電灯会社設立の話があった折には骨董品が変色するなどと元町商人の重鎮として猛反対、明治28年に京都に新古美術工芸品を扱う「池田合名会社」を設立」
(神戸元町 知らなさそうでやっぱり知らない昔の元町通 第6話より)

電灯会社設立に反対したエピソードもしっかりと載っています。

そして、明治28年に京都に新古美術工芸品を扱う「池田合名会社」を設立とあります。

これで、京都とつながりました。

さらにさらに、京都での池田清助を探ってみると、、、、



続きは、明日のブログで。

果たして、「粉」までたどりつけるでしょうか。。。。


今日もブログを見ていただき、ありがとうございました。


眞葛 博士


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小林 達治

京都市下京区に住む88歳男子です。「池田清助翁」の記事に興味があります。清助翁は我が家の前の市部町の60坪の家にすんでいたことがありました。旧家がのこっていましたが、最近、H27 年に2軒の家に建て替えられました。父の代の話では、没落くするまで大正時代にはすんでいました。古い家でしたが、平成26年に新築の2軒の家に建売されました。「池田家の最後の家でした」。池田さんは京都駅の近く七条内浜が最後の家でした。場所はわかりません。
by 小林 達治 (2015-09-09 11:46) 

眞葛 博士 (マクズヒロシ)

小林達治様 コメントに気付き、返信するのが遅れてしまいましたこと、大変大変申し訳ございませんでした。この度は情報を頂き有難うございました。まさに地元の方でしかわからない情報です。ありがたく参考にさせて頂きます。真葛博士
by 眞葛 博士 (マクズヒロシ) (2015-11-09 19:23) 

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