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宮川香山 料亭でも、、、。

皆さん、こんにちは。

宮川香山の真葛焼というと、海外の万博などに輸出された大作をイメージされる方が多いと思いますが、当時の真葛窯では料亭などで使用する食器なども製造していました。

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ここに横浜市中区役所が昭和61年に発行した『中区わが街 中区地区沿革外史』という本があります。

この本は、古老からの聞き取りや座談会の記録をまとめたものです。(僕は郷土史に大変興味があり、横浜のこの手の本はほとんど読んでいます、、笑)


その中に、明治、大正時代に横浜が誇る料亭であった「八百政」に関する記述があります。関内にあった料亭「八百政」は、震災で焼け、大正14,5年に再建されますが、総二階で200坪以上、二階には百畳敷の部屋があり、玄関だけでも24畳あったといいます。

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「八百政」は、橋本関雪、下村観山、さらに山本五十六や、原三渓なども顧客であったといいます。






当時の「八百政」について古老 畠山政吉は、「器が大切」という項で次のように語っています。


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「私共では、先代が京焼が好きだったものですから、瀬戸物はそれに決めておりました。塗物は輪島です。

南太田の真葛焼きも使いました。宮川香山さんとは、ずい分親しくお付き合いさせていただきました。」


実際に、料亭で真葛焼が使用されていた証言です。



確かに、骨董市などで注意深く探していると、真葛焼の向付や徳利などを発見することができます。




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初代宮川香山作 個人蔵 真葛ミュージアム保管


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初代宮川香山作 個人蔵 真葛ミュージアム保管


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初代宮川香山作 個人蔵 真葛ミュージアム保管


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どれも素晴らしいですね。


ところで、「八百政」の現在はどうなっているのでしょうか。

戦中は物資がなく昭和19年に店を閉じ、昭和25年にまた再開されたそうですが、現在はご覧のようなオフィスビルになっています。

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時代の移り変わりを感じます。

もしもタイムスリップできるなら、関内の料亭「八百政」の100畳敷きで、芸者さんでも呼んで、「器は全て真葛焼で!」とお願いし、美味しい料理を満喫したいです、、、笑。



今日もブログを見て頂き、有難うございました。

真葛 博士






P.S. 本業の洋菓子製造業も頑張っています。地元の横浜市立大学の学生とコラボした「社会の役に立つお菓子」第二段 浜梨(はまなし)ガレットを発売しました。


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