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真葛香山  「能」がモチーフの噴水 (3)

「能」復興の礎を築いた梅若実。

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(財)梅若会 homepageより

そして、第二内国勧業博覧会で、能「猩々」を見事に噴水に表現した初代宮川香山。

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能の装束や、舞の動きなど、とても繊細に描写されていると思います。

香山は、もちろん大名ではありませんでしたし、外国要人のもてなしの場に同席することもなかったと思われます。

それなのになぜ香山は、能装束や、舞の動きをここまで繊細に表現することができたのでしょうか?

その答えは「梅若実の日記」の中にありました。(梅若実と横浜商人の関係を探るべく、日記を調査していたところ、それは偶然見つかりました。)

明治13年11月25日
晴。横浜西大田村真葛 宮川香山ト申焼物師ノ方へ(中略)今日九時過より罷越ス。
猩々ノ装束を附ルニ(中略)。夜八時半帰宅。
「梅若実日記」より

なんと梅若実本人が、猩々の能装束を持って、門下の人間達と太田の宮川香山を訪れているのです。

その時期も、翌年に第二内国勧業博覧会を控えた明治13年11月。

香山の噴水器製作のため、実際に能装束を身につけ、舞を舞う姿を見せるためにやってきたものとみて、間違いないでしょう。

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第二内国勧業博覧会に出品された初代宮川香山作「噴水器陶人物錦手」。

その真に迫る描写の裏には、「明治三名人」として名を馳せた観世流の名手梅若実の協力があったのです。

今日もブログを見て頂き有難うございました。

眞葛 博士


p.s. 今年の8月、横浜開港に尽力した徳川幕府の大老、井伊直弼の銅像がある掃部山(かもんやま)公園(横浜市西区)で薪能が開催されました。
といっても当日は天候が悪く、隣の横浜能楽堂での開催となりましたが、井伊岳夫さん(井伊家18代当主)が火入れに参加し、井伊直弼が生涯1曲だけ作ったという能「筑摩江」を見ることができました。とても興味深いものでした。
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